境内御案内
社殿
現社殿・神楽殿は関東大震災後、昭和4年に竣工。明治神宮竣工にも尽力した宮大工・内藤駒三郎氏が指揮して建てられました。日本橋地区では唯一現存する戦前の神社建築で、中央区有形文化財に指定されています。総欅造りで重厚な彫刻が施され、特に向拝の昇り龍・降り龍は強運厄除の御利益のシンボルとして崇められています。また、神楽殿は五角形をしており、大変珍しい造りとなっています。
去る平成28年の御鎮座550年記念奉祝事業により、本殿・拝殿・弊殿及び神楽殿などの屋根銅板葺替工事が行われました。述べ数千人を超える氏子崇敬者の皆々様からの御奉納により、無事に完遂しました。麗しい社殿・神楽殿を次代に継承すべく、木材はすべて残した上で、銅板屋根のみを当初の予定通りすべて葺き替えられました
強運厄除の「昇り龍」「降り龍」
社殿向拝の左右にある彫刻の龍は、天に昇る姿と天から降りる姿が対になっています。この龍は神社の御利益にちなみ、強運厄除の「昇り龍」「降り龍」として崇められています。
「昇り龍」は、参拝者の祈りや願いを受けて神様に伝え、「降り龍」は、神様からの徳(神徳)を参拝者に授けると伝えられています。
孝を養う「養老の滝」の彫
社殿向かって右側にあります「養老の滝」の彫刻は、孝行息子の思いが、滝の水を父親に饗する酒に変えたという、古来伝わる話に由来します。
東京銭洗い弁天の社
当神社の弁天さま(市杵島比賣神)は、その昔、当神社と同境内にあった恵心僧都の開基と伝えられる小網院萬福寿寺に安置されていた弁天さまです。
明治初年、神仏分離令の施行後は、当神社と分離しましたが、その後、寺院は廃絶したため、 明治2年(1869)当神社に遷座されました。同寺にちなみ、また像がお舟に乗られているため、萬福舟乗弁財天(まんぷくふなのりべんざいてん)として信仰されています。
毎年10月28日は弁天さまの大祭が行われ、多くの参拝者で賑わいます。
銭洗いの井
社殿向かって左側には、当神社二之宮・市杵島比賣神(萬福舟乗弁財天)の御像と、銭洗いの井があります。この井で金銭を清め、財布などに収めておくと、財運を授かるとされており、近年は「東京銭洗い弁天」として崇敬を広げています。
徳の神様「福禄寿」
当社三ノ宮の福禄寿は、市杵島比賣神(弁財天)と同じく小網院萬福寿寺に安置されていました。
人徳・福徳のほか財徳の「三徳」の御利益があり、健康長寿の神としても信仰されています。福禄寿像は鳥居をくぐって左にあります。